「納税者」という立場にすがる哀れな人々

先日のエントリ*1には思ったよりも多くの反応があり、数々のコメントに楽しく目を通した。頷かされるものや新しい視点に気づかされるものもあれば、筆者の不徳のせいか文意が正しく伝わっているのか不明なものもあったが、おおむねありがたく読んだ。

とは言うものの、中には明らかに読者の国語力に問題があるものもいくつかあったし、特に以下の3名のコメントには首を傾げざるを得なかった。

いや、愛知県民でなくても税金使われてるけど……地方交付金って知ってる?よくそのレベルの税知識でこんなエントリ書けたね。その方がダサい。 - kasuganoのコメント / はてなブックマーク

地方交付税とかしらないのかな?税金は血流並みに巡り巡ってるよ。血税だけにね。納税者もアーティストも大事だろ。サラリーマン馬鹿にしてんのか。逆にいうともはやダサいぐらいしか言えないのだろう。 - oktnzmのコメント / はてなブックマーク

「批判者のほとんどは愛知県民ではないだろうから彼らが納めた税金はほぼ使われてないと言っていい」地方交付税交付金とは - Outfielderのコメント / はてなブックマーク

税金について話すよりもマシな批判の方法はいくらでもあるだろうという内容の文章を読んで税金について話し出す愚鈍さについてはとりあえず置いて、ひとまず彼らの論法に従って考えてみることにする。
推測するに、彼らの論法によれば、愛知県は地方交付税交付金などを国庫から受け取っているからあいちトリエンナーレ2019に対する愛知県の支出は自分も負担している、つまり納税者として自分を含む全国民には苦情を言う権利があると言いたいのであろう。
この論理は複数の箇所に誤りがある。

第一に、愛知県が受け取る地方交付税交付金などの補助金は事実上愛知県内で賄われている。
下の図*2は少々古いデータだが、2019年現在でも愛知県の人口は755万人*3であり、愛知県が国から受け取る依存財源の合計は6618億円*4で、愛知県内で納められた国税の総額は4.3兆円*5なので、愛知県では県民一人あたり国税が約57万円納められていて、国からは一人あたり約8.8万円の補助金を受け取っており、現在もほぼ状況は変わっていない。

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国税と国からの補助金(1人あたり)
愛知県で収められた国税の額は愛知県が国庫から受け取る補助金の額をはるかに上回っている。別の言い方をするなら、愛知県は国庫に支えられているのではなく、国庫を支えているのである。
こんなことは愛知県が東京、大阪に次ぐ日本第三の大都市圏の核を成していて大工業地帯や国際貿易港を抱えていることを考えれば自明のことである。

第二に、地方交付税は受け取った自治体のものであり国のものではない。

地方交付税は、本来地方の税収入とすべきであるが、団体間の財源の不均衡を調整し、すべての地方団体が一定の水準を維持しうるよう財源を保障する見地から、国税として国が代わって徴収し、一定の合理的な基準によって再配分する、いわば「国が地方に代わって徴収する地方税」 (固有財源)という性格をもっています。

総務省|地方財政制度|地方交付税

地域間の再分配制度としての側面が強くあるにせよ、建前上は地方交付税は「本来地方の税収入」であったものを「国が代わって徴収」し再配分したものである。
たとえ愛知県が受け取る補助金が県内で納められた国税よりも多かったとしても、国が指図したり、他県民が納税者のような顔をする筋合いはないのである。
ついでにいえば地方分権改革により国と地方自治体の関係は上下関係ではなく対等ということになっているから、国が自治体の税金の使い方に口出しをするのはそもそも越権行為である。

第三に、行政に異議を申し立てる権利は納税の結果として生じるものではない。
繰り返しになるが、「表現の不自由展・その後」に対して批判をするのであれば税金について話すよりもマシなやり方がいくらでもある。
税金を払っている人間には口出しをする権利があるのなら、国からの補助金をはるかに上回る金額の国税を納めている東京都民は、補助金を大量に受け取っている高知県島根県の意思決定に県民よりも強い立場で参加できることになってしまう。
普通選挙実施前の納税額で選挙権の有無が決まる社会ではないのである。日本国憲法は政治的権利を万人に無条件で認めている。

最後になるが、国や自治体から金が出ていようがいまいが、公にされた表現に問題があるのであればそれは公権力による圧力や暴力を伴わない形で批判されるべきである。
そこであなたが相手を批判する資格の根拠となるのは、納税額の多寡ではなく、あなたが日本国憲法で認められた基本的人権を備えた一市民であるという事実だ。
公共の福祉に反する展示によってあなたの人権が侵害されているのであれば、それは相手の表現の自由を制限する理由になる。
今回の事件を通じて最も残念だったのは、批判している人々が展示の具体的内容について知らず、それが公共の福祉に反するという論理的説明を誰も出来ていなかったことだった。
その結果が大量の「納税者」の発生だったのだろうが、その論理に政治家や「アーティスト」と呼ばれるような人々まで乗っかっていたのは重ね重ね見るに堪えない残念な光景だった。