アートを批判するために「俺様は納税者だぞ」と言い出すダサい人々

「あいちトリエンナーレ2019」の企画展として行われた「表現の不自由展・その後」は脅迫などもあり中止に追い込まれてしまったが、それまでにこの企画展へ向けられた批判の数の多さには驚かされた。
www.huffingtonpost.jp
批判の多くは「平和の少女像」や「遠近を抱えて」に向けられていたが、批判していた人たちの多くはそれらが具体的にどのような展示だったか把握していたようにも思われないし、またそれら以外にどのような展示があるのか調べたようにも見えない。
個人的には、「アルバイト先の香港式中華料理屋の社長から『オレ、中国のもの食わないから。』と言われて頂いた、厨房で働く香港出身のKさんからのお土産のお菓子」というただの菓子を展示しただけの作品がタイトルや最初に展示を拒否された経緯も含め面白いと思った。

「表現の不自由展・その後」に向けられた批判で特に興味深かったのは、税金を使っていることを理由に展示内容を好ましくないとする自民党日本維新の会のいわゆる改憲勢力の政治家たちによるものだ。
代表的なのは官房長官菅義偉名古屋市長の河村たかし大阪府知事の吉村洋文などだろう。税金を使っているのだから権力の気に入る展示をしろというわけである。

これは端的に言ってダサい。誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ、というのは家族に尊敬されない父親が言う定番のセリフである。
自分が尊敬されていないことがわかっていて、理屈でも説得できないとわかっている家族に向けて吐く最高にダサい捨て台詞である。
自民党というのは日本中のダサい親父の価値観を体現しているような政党だから、自民党からこういう意見が出てくるのは当然と言えば当然であるが、官房長官という立場にある人間がこの最高にダサいセリフを吐いたのは強く印象に残った。
そもそも愛知県と名古屋市からの支出とチケット代で予算のほとんどが成立しているイベント*1に他の都道府県の住民や国会議員が青筋を立てて文句を言うのもどうかと思うが。


もっとダサいと思ったのは「アーティスト」と呼ばれるような人々が同じような理屈で批判を行っていたことだった。
表現の巧拙に関する指摘、既存作品との比較、対抗するメッセージを発信する作品の紹介、などなどアーティストであればアーティストならではの批判もできるはずだ。
しかし彼らはそうしなかった。税金を使っていることを理由に批判したことで彼らは「アーティスト」ではなくただの「納税者」になってしまった。
たしかに税金が正しく使われているかを監視するのは納税者の大切な役割である。しかし、批判者のほとんどは愛知県民ではないだろうから彼らが納めた税金はほぼ使われてないと言っていい。そしてまた苦情を言っているのが愛知県民だったとしても、その苦情の妥当性は休憩する消防団員を怠けていると言って役所に密告するクレーマーと何が違うのだろうか?
そして、彼らにとって納税者であることは「アーティスト」であることよりも重要なことだったのだろうか?そんなことはそこらへんのサラリーマンでもできるようなことだ。

機動警察パトレイバー」というアニメに繰り返し登場するギャグに、太田という警官が「納税者だと思って優しくしてりゃつけあがりやがって」といって犯罪者を相手にキレるというものがある。
これがギャグとして成立するのは、この警官が自分と犯罪者との関係を、市民と警官という関係ではなく納税者と警官という関係で考えて、相手が金を払っているから偉いと考えているのが異常だからである。
金を払っている人間が偉いのだという価値観を内面化している人間は距離を置いてみるとものすごく滑稽に見える。

こちらは少し毛色が違うが同じくらいダサい。政治表現こそが表現の自由によって守られるべきもののなかで最も重要だということは義務教育でも習うような内容である。
表現の自由がなんであるかも知らず、「アーティスト」としてではなく納税者として他人に感情をぶつけるダサい親父のような人々がたくさん目に入って呆気にとられたというのが今回の事件に対する私の感想だ。