「武装難民」というエセ専門用語は使うべきでない

麻生太郎が直近の失言の中で用いた「武装難民」という言葉は何かはっきりとした意味を持った専門用語のように見えるがそうではない。
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「武装難民」という学術用語は存在しない

「武装難民」という言葉は学問の分野で定着した用語ではない。CiNiiでの検索*1で出てくるのは右翼系の雑誌記事2件のみで、J-STAGEでの検索*2でも出てくるのは1件のみである。

国会での「武装難民」に関する発言

国会の議事録検索*3によれば、これまでに「武装難民」という言葉が国会で使われた回数は25回である。
年ごとに発言回数をまとめると以下のようになる。そのうち麻生太郎によるものが何回含まれるかも合わせて記した。

回数 うち麻生太郎によるもの
1994 1 0
1995 2 0
1996 1 0
1997 5 0
1999 3 0
2001 2 0
2002 2 0
2003 1 0
2006 1 0
2007 3 2
2008 1 1
2010 1 0
2016 1 1
2017 1 1

97年の日米防衛協力のための指針(ガイドライン)改定や03年の武力攻撃事態法成立などに合わせ散発的に「武装難民」という語が用いられているが、国会内においても特に定着した表現というわけではないことがわかる。また、2007年以降「武装難民」という言葉を執拗に国会で使い続けているのはほぼ麻生太郎だけであることもわかる。

しんぶん赤旗」における「使用」

「武装難民」という表現は右翼だけでなく「しんぶん赤旗」でも使用している*4という論があるが、これはほとんど言いがかりである。「使用」の例としてあげられている記事から該当部分を以下に引用する。

中谷長官はさらに、政府が「周辺事態」として例示していた「ある国の政治体制の混乱等による我が国への難民の流入」に際して、難民の中に紛れ込んだ武装難民やゲリラ、特殊部隊による武力攻撃は「(有事法制の)対象になる」と指摘。

衆院委で赤嶺議員質問/ゲリラ・特殊部隊も対象/中谷長官答弁 有事法制で細かく想定

自民党の政治家が発言した内容を引いて書かれた記事をもって赤旗も「武装難民」という表現を使っていると主張するのは、「バカと言ってはいけません」と教師に叱られた子供が、教師もその発言の中で「バカ」という言葉を使ったと主張するのと同程度の屁理屈である。

右翼系サイトで好んで用いられる「武装難民」という言葉

麻生の発言以前に「武装難民」という言葉を使っていたウェブサイトを選んで眺めてみると、週刊誌の記事やまとめサイト、特に右翼系のサイトが目立つことがわかる。このような意味で、「武装難民」という言葉は「反日」や「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」や「レッドチーム」などのネトウヨが好んで使う、ネトウヨ同士でしか通用しない言葉と同類である。定義が曖昧であるのに聞いた者に強い不安を与え、難民という概念に対するネガティブなイメージを強め、冷静な議論が成立する素地を弱体化させるという点で、ネトウヨにとって都合が良い言葉なのだろう。

「武装難民」を射殺するべきか議論する意味はない

冷静に考えれば、抑圧された北朝鮮国民あるいは小銃程度の武装しか持たない脱走兵が中朝国境の朝鮮族地域や韓国ではなく日本を逃亡先として選び、海保や海自や米韓海軍に捉えられず日本海を越え日本に上陸し、警察や陸自を前にして組織的な軍事行動を起こすなどという筋書きが荒唐無稽なことは誰にでもわかる。そもそも難民として日本に受け入れられることを希望する北朝鮮国民に日本で問題を起こす動機がない。
プロの工作員が難民の集団に紛れ込んでいるという想定なのであれば、それを発見するためにどのような検査体制が必要かを議論するべきである。接触した瞬間に敵対的な行動を取るのならそれは難民ではないし、その場で相手が敵対的でないなら身柄を確保してしかるべき検査のあと保護または拘束すべきだ。難民に対して取る行動として、まともに考えれば射殺は選択肢に上がることすらないはずである。
「武装難民」といういたずらに不安を煽る言葉に引きずられ存在しない問題について考えるくらいなら、現在進行中の難民問題であるロヒンギャの人々にどう日本は関わるべきなのかなど、より現実的な課題について議論するべきではないだろうか。今回の麻生太郎の発言には問題提起としての価値すらないのである。