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「キモくて金のないおっさん」を脅威として認識する「フェミニスト」

「キモくて金のないおっさん」についてのtogetterまとめ*1にはフェミニズムについて言及したツイートは数点しか含まれていないのだが、瞬く間にこの話題はフェミニズムとの関係で、しかも否定的に語られるようになった。*2*3
さらに興味深いことに、「金のない」という言葉は意識的にか無意識的にか最大限緩やかに解釈され、主題は「承認欲求」や「つらさ」といった問題にすり替えられ自己責任論で処理されている。
なぜ「フェミニスト」たちは「キモくて金のないおっさん」という概念をフェミニズムに引き寄せて考え、しかも否定的に語らなければならなかったのだろうか。

フェミニスト」の味方になろうという人間は、当事者である女性を除いても大勢いる一方で、「キモくて金のないおっさん」には味方が存在し得ない。
この点で「フェミニスト」は「キモくて金のないおっさん」に対して圧倒的優位に立っているはずで、本来ならフェミニズムとの関連でわざわざ否定的に語ってみせる必要もないはずだ。
能力のある女性を活用することで経済的な利益を得たい男性経営者であるとか、能力があるにも関わらず社会での活躍を阻まれている女性に同情する、あるいは単に女性の好感を得たい男性であれば、程度の強弱はあれフェミニズムの支持者あるいは潜在的な賛同者になるだろう。
しかし、「キモくて金のないおっさん」にはそもそも金を稼ぐ能力がないのであるから経営者は興味を持たないし、社会で活躍できない状況も自業自得として処理される。
「キモくて金のないおっさん」は定義から異性である女性に対する魅力にも乏しいのであるから、「キモくて金のないおっさん」の好感を得たいという理由で彼らの支持者になる人間は存在しない。

「キモくて金のないおっさん」に同情的な勢力があるとすれば、それは「キモくて金のないおっさん」自身だ。
フェミニスト」が「キモくて金のないおっさん」概念を否定的に語らなければならなかった理由があるとすれば、それは「キモくて金のないおっさん」そのものが「フェミニスト」にとって脅威に映ったからにほかならない。
「キモくて金のないおっさん」という新しい弱者の概念が定着することで、強者である金・権力を持ったおっさんと弱者である金・権力のない女性の対立という単純な構図で物事を語ることが困難になり、男性一般、もっと言えばおっさん一般を仮想敵にした批判といったものが成立しづらくなるという事情もあるだろう。
また、インターネット人口全体の平均年齢が上昇し、社会に低賃金労働者が増えることで「キモくて金のないおっさん」またはその予備軍がインターネット上で数を増やしていること自体について脅威を覚えるという事情もあるのだろう。
「キモくて金のないおっさん」やその予備軍がしばしばフェミニズムに対して好意的な反応を示さないことも加味すればなおさらだ。

しかし、そもそも「キモくて金のないおっさん」概念と男女の不平等を関連させて語る必要があるのだろうか。
「おっさん」と性を限定しているのが問題なら「醜い・同情を得にくい中高年貧困者」と一般化して言い換えればこれは貧困対策・労働問題・社会福祉の問題なのであって、「承認欲求」とか「つらさ」とかいった衣食が足りた先の問題に矮小化するべきではない。
醜い貧困者の話をするより「承認欲求」や「つらさ」の話をした方がインターネット上では人気者になれるという事情があるのは理解できるが、インターネット上での自分の立ち位置を確保するために醜い貧困者が抱える問題を否定してみせる態度は決して褒められるものではないだろう。