掃除機にお胸がありますか?

人工知能学会がその学会誌の表紙に使用したイラストについて問題点の指摘*1が相次いでいる。話題になっているのは人物が箒と本を持って洋間に佇んでいる様子が描かれたもので、服装や長い髪また胸の膨らみなどから人物は女性であり、さらに背中から電源ケーブルがのびていることからイラストに描かれているのは実は人間ではなく女性の形をしたロボットなのだとわかるようになっている。これについて、同学会はブログ上で「今回のデザインは、『日常の中にある人工知能』というコンセプトで、掃除機が人工知能になっていることを表しています」*2と説明している。
そもそも女性型ロボット、あるいは女性型人造人間というものは古来より男性の性的欲求を満たすための道具として物語に描かれ続けてきた。19世紀末にフランスのリラダンが発表した小説「未来のイヴ」は、美しい外見とそれに見合わない凡庸な内面を持つ女に失望した男が、その外見は女に似せつつも内面は自分の願望にかなうものを持った理想の女性として人造人間を作ろうとする物語である。それから120年以上が経過した今日、主人公の性的関心の対象になるよう設定された女性型人造人間というキャラクター類型は確固たる地位を確立し、そのようなキャラクターが登場する小説・アニメ・ゲーム等は枚挙に暇がない。多くの場合、そのようなキャラクターは人間と比べて遜色ない、あるいは人間よりも優れた美貌の持ち主であり、体型についてもある程度以上の大きさの乳房やくびれたウエストなどを持つ性的魅力を備えた存在として描かれる。そしてその中には性交あるいはそれに類する行為を行う能力を持ったものが少なからず含まれるし、実際に人間とそのような行為を行う様子が描写されることも珍しくない。
ところが、件の女性型ロボットについて人工知能学会は「掃除機が人工知能に」なった姿だと説明する。女性型人造人間というキャラクター類型について積み上げられてきた性的な属性・文脈の一切がここでは無視されている。自律化された掃除機なら現在でも家電量販店に行けば購入できるが、店頭に並ぶロボット掃除機はどれも地を這う円盤とでも呼ぶべき代物であり人間とはかけ離れた形状をしている。単純に掃除をするためのロボットなら人間型である必要はないのだし、たとえ人間を模した姿のロボットが家事を担う必要が生じたとしても人間のような質感の肌や大きな乳房はまったく無用なのである。現在一般に入手可能な耐久消費財で、触りごこちのよい肌と扇情的な体型を持つ人間の女性をかたどった製品として一般に思い浮かぶのは掃除機ではなくダッチワイフあるいはラブドールと呼ばれるシリコン製の人形であろう。問題となったイラストに描かれているのは進歩したロボット技術が投入された未来のラブドールだと受け取るのが自然なのであって、ロボット掃除機の進化した姿だとする同学会の説明はいかにも後から取って付けたものという印象で滑稽ですらある。
ではなぜ人工知能学会は「掃除機が人工知能になっていることを表しています」などという説得力に乏しい主張をしなければならなかったのか。部外者の私には推測することしかできないが、例えば「ロボット化されたラブドールが家事から夜の相手までしてくれるようになった未来を描いたイラストです」などという説明をする勇気が彼らにはなかったということなのではないだろうか。なるほど学会誌の表紙イラストに描かれているのが未来のダッチワイフだというのは不道徳な感じがするし体面も悪い、内外から激烈な批判も予想されるだろうし建前だけでも無難なものにしておこうという理屈はわからないでもない。しかしそのような逃げを打つのであれば初めからこのようなイラストを採用するべきではなかった。同学会はブログ上で問題のイラストについて「挑戦的」という表現を使っているが、真に挑戦的な態度を取りたかったのであれば生身の女性と遜色ない外見を持つロボットが社会に普及することでどのように人々の生活が改善されるかを主張すべきであった。例えば家事から性欲の処理までをこなせる女性型ロボットが月給数ヶ月分の価格で入手できる時代が到来したとして、そのことでどれだけの数の人々が幸福になり、自殺・性犯罪・その他諸々の社会不安が軽減されるかという未来像を提示するべきであった。
性的な文脈を想起させるイラストを使用することについて批判が予想されるのであれば批判を甘んじて受けつつそれでも自らの意図を丁寧に主張するべきだったし、それを避けたいのであれば代わりに無難なものを選ぶべきだった。これは掃除機であるなどという白々しい主張は予想される批判をかわすこともできない上に「挑戦的」という自画自賛に見合うだけの外部からの賞賛も得られないという点において策としては最悪の部類といえる。