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「真面目に努力すれば報われる」という信仰は有害である

書き散らし

大学でアルファベットを教えて何が悪い - bluelines
生徒の学力に合わせた授業を行うのが最も生徒のためになると訴える上記のエントリへのコメントとして、大きく分けて2種類の反論があげられているように見える。1つは落ちこぼれた生徒に対するセーフティネットの役目を果たすべきなのは大学ではないというものだが、これは時代錯誤的なものであるように思う。大学進学率が50%を超えた状況で質の低い生徒が大学に流入するのを食い止める方法はないだろうし、教職員が流入してしまった生徒のためにそれでも最大限の教育サービスを提供しようとするのは当然のことだ。学士号の価値が損なわれることを危惧する声もあるが、日本の大学が入学さえ出来れば誰でも卒業できるものになってしまっているということは以前から言われてきたことであってそもそも現在の状況と咬み合っていない。
もう1つは大学生にもなってアルファベットが書けないような生徒はそもそも真面目さが足りないのだから対応する必要はないとする自己責任論なのだが、こちらはかなり根が深いように思う。まず、ある生徒に真面目さが足りなかったからといってその原因がすべて生徒の自己責任に帰せられるべきものであるのかということが問題になる。ある人が「真面目な」学習態度を身につけるということは、家庭環境であるとか義務教育を受けた小学校・中学校の雰囲気であるとかいった様々な条件がそろってはじめて可能になることだろう。たまたま所属することになった学級が崩壊していたという理由で「真面目な」学習態度を身につけることができなかった小学生がいたとして*1、その責任を負うべきなのが生徒自身であるはずがない。そしてもう一つ問題になるのが、「真面目さ」が足りない生徒への対応が不要だと主張する裏側には「真面目な」生徒を優遇しろという主張が見え隠れしているということである。
そもそも学校生活において「真面目」であるとされるのはどのような生徒であろうか。一般に「真面目」という語は、教師の言う事に素直に従い課業を欠かさずこなすような従順な生徒を形容するのに用いられるものだろう。「真面目」な生徒は教師にとって扱いやすく都合のいい存在であるから、模範的生徒として様々な形で報奨されることになる。しかし、いつまでもこの成功体験を引きずり「真面目」であることを称揚する価値観に染まったままでいると現在の社会では大きく躓くことになりかねない。例えば、昨年12月現在の大学生の就職内定率は70%に満たないのであるが*2、現在の就活市場においては参加者である大学生の数に対して大企業が希望する採用数が絶対的に不足しているのだから、参加者の側がどれだけ努力しようが必ずある程度の数の学生は望みどおりの結果を得られないことになる。さらには面接時の何気ない仕草であるとか容姿であるとかいったものすら採用の基準になりうる*3というのだから、いくら「真面目」に努力したところで結果に繋がらない場面というのは多く存在するし、むしろ就活市場からの撤退や志望企業に関する方針転換を決断するタイミングが遅れるという意味において「真面目に努力すること」の価値を闇雲に信じ続けることは当人にとって有害ですらある。
「真面目に努力する生徒を優遇せよ」という主張は「真面目に努力すれば報われる」という信念を裏切った現実に対する裏切られた側からの告発なのであろうが、そのような主張はさらに多くの人を不幸にするだけのように思われる。「真面目に努力すれば報われる」という信念は絶対不変の真理でもなければ法的に保証された権利でもなく、ただ単に教師による学級運営を円滑にするため導入された口約束に過ぎないのだ。「真面目」であることの価値に盲目的な信仰を抱き続け、「真面目」でない人間に批判の矛先を向けることは現行の様々なシステムに対して間接的に支持を表明することにほかならないし、それは結果としてより多くの人間を不幸にすることに繋がるように思われてならないのである。

*1:崩壊学級意外にも家庭環境であるとか先天性の障害であるとか教師との相性であるとか理由はなんでもよい。

*2:[http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3160.html:title]

*3:[http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-3679.html:title]