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「魔法少女まどか☆マギカ」キュウべぇ批判の合唱に加わる人々の悪趣味さ

書き散らし


「まどかマギカ」に登場するキャラクターの中で、嫌悪の表明の対象として最も気軽に選ばれがちなのがキュウべぇであることはおそらく間違いない。ネットを見渡せば彼の作中での振る舞いに対する素朴な怒りの表明を多く見つけることができるし、「QB」という蔑称が広く普及していることも確認できる。しかし、キュウべぇを批判する彼らの言動に、彼らがキュウべぇを批判する根拠としているような倫理的正当性はあるのだろうか。なぜキュウべぇに口汚く罵倒の言葉を投げつける彼らの倫理は問われないのだろうか。

61 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[] 投稿日:2011/02/19(土) 02:36:32 id:HYhdkeZ/0
>>20
むかつくw
71 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 02:36:47 id:IkcOJR3J0
>>20
吐き気を催す邪悪というのはこういうものなのだろうな
本人には自覚ゼロだが

|やらおん!

214 :風吹けば名無し:2011/02/19(土) 01:56:30.54 id:bJm1IfkQ
ファッQB
215 :風吹けば名無し:2011/02/19(土) 01:56:30.60 id:B9jCWQHB
ファッキューべえ
228 :風吹けば名無し:2011/02/19(土) 01:56:45.00 ID:6Bj5MDPT
キュウベエ親分氏ね
234 :風吹けば名無し:2011/02/19(土) 01:56:55.17 id:dpe+yHZj
糞過ぎるw
247 :風吹けば名無し:2011/02/19(土) 01:57:44.08 ID:6Bj5MDPT
マジ鬼畜
253 :風吹けば名無し:2011/02/19(土) 01:57:49.94 id:bJm1IfkQ
QB氏ね
254 :風吹けば名無し:2011/02/19(土) 01:57:53.16 id:w3ZJS8gy
しねよQBww
255 :風吹けば名無し:2011/02/19(土) 01:57:53.14 id:cAK5WhhW
QB最低だなwwwwwww
265 :風吹けば名無し:2011/02/19(土) 01:58:08.12 id:JjXp5SpH
マジで糞野郎だなwww

『魔法少女まどかマギカ』第7話 さやかがついにヤンデレ化 : にゅうにゅうす

「まどかマギカ」作中世界には多くの二項対立が配置されている。例えば魔女と魔法少女という対比は言うまでもなく作品世界の価値観の基礎をなすものであるし、無味乾燥な都市とまどかが暮らす家を取り囲む木々との対比は魔女の手で人々が不幸になる場所としての都市空間の不気味さを幸福で安全なまどかの家庭との比較で際立たせる効果を担っている。しかし、例えば第5話冒頭でさやかがキュウべぇと契約し魔法少女になるシーンでさやかが立っている場所が迷路のような模様の中央であることからは、迷路の中心で待ち構える悪い魔女を倒す正義の魔法少女という二項対立が構図としては脆さを持ったものであるということが見て取れる。また、緑に覆われた安全な森と殺伐とした都市という対比についても、例えばオープニング映像の冒頭でまどかが泣いている場所が都市を遠景に据えた森の中であるということや、多くの童話で魔女が人間に危害を加える場所が人里はなれた森の奥であることなどから今後の物語の展開によっては容易に覆されうる構図であることが示唆される。

このように、「まどかマギカ」の世界に散りばめられた様々な対比の構図はそれぞれにそれを覆しかねない要素を抱えていて、その緊張感は本作を鑑賞する上での楽しみの一つとなっている。そしてそれは、まどかを魔法少女にしようとするキュウべぇとそれを阻止するほむらとの対比についても同様である。まどかは魔法少女になることで普通の人間の肉体を失い戦いの宿命を背負うことになるのだが、自らの平凡さというコンプレックスからは解放される。成功した大人の代表として描かれているのがまどかの母親だとするならば、平凡な大人の代表として描かれているのはまどかの担任教師であろう。結婚適齢期がどうこうといった愚痴を授業中に生徒にぶつける様子などの彼女の描かれ方を見るにつけ、もし魔法少女になることを選ばなかったとして平凡なまどかが幸福な人生を送ることができるのか現段階では否定的に考えざるをえない。

まどかが魔法少女になることを阻止したいというほむらの意思は、ほむら個人のためであれまどかの幸福を願ってのことであれ、あるいは世界全体の利益を考えてのことであれ作中世界の論理に従ったものである。そしてまた、まどかを魔法少女にしたいというキュウべぇの意思もどのような形であれ作中世界の論理に従ったものであろう。しかし、そもそもまどかという一人の少女が人生を投げ打って魔法少女になるか平凡な一人の女として人生を送るかの選択を迫られるような世界観が生み出されたのは、「魔法少女まどか☆マギカ」という映像作品が娯楽目的の商品として成立するという作品世界の外にある現実世界の論理によるものである。たとえば美樹さやかの悲恋であるとか巴マミの死であるとかいった出来事は、作中世界ではそのままの形で悲劇なのであるが視聴者たる我々にとっては物語を盛り上げる娯楽の一要素である。マミが死んだことで物語には強いアクセントが生まれたし、作品を取り囲む視聴者の熱気も急速に盛り上がった。また、彼女の死をネタにしたギャグであれ追悼する言葉であれ、それによって観客である我々は何らかの形で気分の高揚を感じることができる*1。少女たちに振りかかる不幸によって最も多くの利益を得ているのは魔女でもキュウべぇでもましてや脚本家虚淵玄でもなく、「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメ作品を娯楽として消費している我々視聴者なのである。

少女たちに不幸が振りかかることで我々視聴者に利益がもたらされるのであれば、視聴者はキュウべぇに感謝こそすれ非難をする立場にはない。むしろ、キュウべぇの思惑通りまどかが魔法少女になる方が視聴者としては盛り上がる理由ができて好都合なはずであり、それを妨害するほむらにこそ批判の矛先は向けられるべきである。作中世界の倫理から見てどれだけ悪辣であったとしても、キュウべぇの振る舞いは視聴者の利益に直接結びついている。そもそも、少女たちに不幸が振りかかるような世界観は我々視聴者の支持があってはじめて商業作品として成立しているのである。キュウべぇの存在が倫理的に許せないのであれば「まどかマギカ」という作品そのものやそれを娯楽として消費する我々自身の倫理も問われなければならないはずであるし、視聴者自身の倫理を問わないのであれば視聴者のために生み出されたキャラクターたちの倫理も問えないはずである。結局、キュウべぇ批判を行う人たちは自分の身だけを倫理上特権的な位置におきながら目先の倫理侵害を非難するという悪趣味な娯楽を楽しんでいるのにほかならない。そして、大勢が批判しているからという理由で気安くキュウべぇ批判の合唱に加わり鬱憤を晴らす人たちはその行為自体によってさらにキュウべぇというキャラクターの存在に借りを作ることとなり、悪趣味の度合いを深めていくのである。

*1:「[asin:B004NIGXV0:title]」のような商品が流通していることは、マミの死が利益を生み出すための娯楽商品の一部に過ぎないことを端的に示している。