他人に信頼されるということ

あなたが誰かを信頼するというとき、あなたは相手が自分の期待通りに行動することを期待している。そして、その期待が実現されたときあなたは相手を信頼した甲斐があったと評することになり、その人は信頼できる人間だということになる。
これは、裏を返せばあなたが予想した通りに動く者こそ信頼できる人間であるというのと同じことだ。相手が何をしたかに関係なく、彼が取った行動があなたの予期しないものである限り彼は信頼できない人間だし、あなたが予期したとおりに行動するのであれば彼は信頼できる人間だ。
あなたが何か作業を依頼して、相手がそれを言われた通りに成し遂げたときに信頼が生じるという場面もあるだろう。この場合、相手の行動の内容とあなたが相手に寄せる信頼は関係があると言いたくなるかもしれない。しかしそのときでさえ、あなたは自分が頼めば相手は必ず作業を行うはずだという期待のもとに依頼をしているのだ。相手が作業を行わない、もしくは行えないと予想されるときにはそもそもあなたは依頼しない。この場合の信頼というのは、あなたが依頼した作業と相手が行うことができた作業が偶然に一致したために生じたものにすぎない。
ある人が頼りがいがあるというとき、そこには彼がどんな作業でも引き受け成し遂げてくれるはずだという期待がある。彼がそれを成し遂げれば信頼が生まれるし、そうでなければ信頼は生まれない。信頼できるから頼りがいがあるのではなく、期待させるから頼りがいがあるのだ。
作業の依頼に限らず、あらゆる行動で同じことが言える。あなたが何か相手に働きかけた結果、相手があなたの期待通りに振る舞えば信頼が生じる。
ここで、あなたが相手に働きかけた結果として相手が期待通りに振る舞わなかったとき、次にまた同じ働きかけを行うことを考える。このときにあなたの意図通りに振る舞えば相手はあなたの期待にこたえ、信頼できる人間だということになるだろう。しかし、相手が前回と同様のやり方であなたの期待を裏切ったとしたら、あなたは彼が期待を裏切ったとは言えない。つまり、一貫して同じ行動によってあなたの期待を裏切り続ける人がいるとすれば、まさにそのことによって彼はあなたの期待を裏切らない信頼できる人間だということになる。
つまり、他人に信頼される人間になることをあなたが欲しているのだとすれば、あなたは自分が他人の行動を受けてどのように振る舞う人間であるかを他人に知らしめるべきなのだ。
それを実践するのには2つの方法が考えられる。1つは、相手の意志を汲み取り相手が自分に期待している行動をひたすら素直に取り続ける方法。そしてもう1つは、相手の意志を汲み取らず、ひたすら自分の意志を優先させて行動する方法だ。いずれの方法でも、相手はあなたが他人の働きかけにどのように対応するか長くない期間を経て学習し、あなたの行動を予想してあなたにある種の「信頼」を寄せるようになるだろう。