ご飯は代替表現でもなければ、シマシマをおかずにして平らげられるためだけにある炭水化物でもない

けいおん!」の意味のなさに絶望しながらも、快楽原則には勝てず見続けている。
『けいおん!』第6話における澪のパンツ表現に関する所感――「パンツ表現論4」への助走として - 反=アニメ批評
山のようによそられた白米を見るとき、我々が想起するものは何であろうか。それは温度であり蒸気であり、炊きたての米から立ち上る甘い香りであるはずだ。
パンツをシマシマで表現するためだけであれば、茶碗を見せればそれで事足りるはずである。しかし、視聴者たる我々がそれでは満足しないことを制作側は知っている。冷たい陶器の茶碗から女子高生のスカートの中を直接に連想するものはいない。
しかし、ここに炊きたての白米をたっぷりと盛ってみせるだけで状況は一変する。縞模様のパンツの代替品に過ぎなかった冷たい陶器は温度を持ち、そこからは甘い香りのする蒸気が立ち上っているのだ。*1
そして、この画面が提示された瞬間から、我々の脳内では眼前に出現した桃源郷との邂逅が即座に開始される。視界を覆う柔らかい縞模様の繊維の内側には温度を秘めた確かな存在があり、そこからは甘い蒸気が立ち上り我々に咀嚼されるのを待っている。茶碗が画面から消え去るまでのわずかな時間ですら、その甘い炭水化物を脳内で咀嚼するのには十分だ。
そして我々に味わい尽くされた少女は悲鳴をあげる。彼女は体育館の観客でも軽音部の仲間でもない、もっとおぞましい大勢の視線が彼女の肉体を既に貪ったことを知っているから。

*1:できればタクアンか卵が黄色い色彩を与える添え物として欲しかったところだ。特にタクアンは臭いがあるのでなおよい。ひじきも良いのではないかと考えたが、あまりに直裁にすぎる。