「けいおん!」の耐えられない無意味さ

私が「けいおん!」の何を最も嫌悪するかといえば、何ら寓意を伴うことのない極端に戯画化された人物描写だ。
今後の展開がどうなるかはわからないが、現時点までの放映分を見る限り、唯が阿呆として振る舞うことにも紬が妄想癖を持つお嬢様であることにも、いかなる物語上のトリックもメッセージ性も含まれることはないように思われる。それらの設定は、ただ各回の物語に合わせて視聴者たる我々の欲望を最も効率よく刺激する組み合わせで発現する属性の集合としてしか存在していないし、以降の放送でもそのようにあり続けるだろう。
けいおん!」に比べれば「らき☆すた」の方がまだオタクの生き方・考え方を映す合わせ鏡としての機能を果たそうという意志・メッセージ性を感じられるほどだ。青春・女子校・部活という要素を盛り込みながら、「けいおん!」はおそらく成長や葛藤や自己の性への戸惑いといったテーマを盛り込んで物語を展開することもないだろうし、視聴者たる我々*1と何らかの形で繋がりうる要素が作中で描かれることもないだろう。
けいおん!」が描くのは我々と全く接点を持たないが故に安心して鑑賞できる少女たちの虚像であり、少人数で悪意に晒されることなく周囲の理解を得ながら行われる部活動という形で表現されるモデル化された青春である。そこにあるのはある種の宗教画のような、ただひたすらに美しく、そうであるが故に全く我々の現実と接点を持たない理想の世界だ。
観客の快楽原則を追求した結果、阿片の様になってしまった作品が時代の徒花として出現するのであれば幾分か救いがあるように思われる。ただ、阿片のごとき作品が「今期の代表作」というような扱いで持ち上げられ、人口に膾炙する様子を見て私は生理的な嫌悪感を覚える。そして何より、そのような感覚を持ちながらこの作品を鑑賞して快楽を得ることが出来る自分自身に私は戸惑いを感じている。
もしかしたら「けいおん!」は、このような形で我々の快楽原則について問題提起を行うために設計された実験的なアニメ作品なのかもしれない。

*1:20〜30代の、メディアが称揚する男性性の在り方に違和感を覚えながら、対抗できる価値観を提示することもできないオタク