どう考えても麻生太郎は老後2000万報告書に責任がある

極東ブログ」が新しく年金記事を投稿しているが、やはり前回*1と同様によく読むと色々とおかしい。
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金融庁が出した文書について大臣である麻生太郎には責任がある

極東ブログ」は金融庁が出した「『高齢社会における金融サービスのあり方』(中間的なとりまとめ)」について「審議会がない。金融庁が勝手にまとめていた」と言う。そして、「この流れから見れば、この話題は麻生金融担当相の諮問じゃないんじゃないの疑惑は深まる」と言うのだが、これはおかしい。
まず、「中間的な取りまとめ」*2金融庁として公表した文章なのであるから、審議会を経ていようが経ていまいが大臣である麻生太郎には責任がある。

麻生太郎は「高齢社会における金融サービスのあり方」について把握していた

さらに、「高齢社会における金融サービスのあり方」について「極東ブログ」は「金融庁が勝手に」したことだという筋書きにこだわるのだが、麻生太郎はこの動きについて把握していたはずである。
金融庁のサイトには「高齢社会における金融サービスのあり方」に関連するものとして次の閣議決定があげられている。*3

高齢社会対策大綱(平成 30 年 2 月 16 日閣議決定)(抄)
第2 分野別の基本的施策
1 就業・所得
(3)資産形成等の支援
イ 資産の有効活用のための環境整備
高齢期に不安なくゆとりある生活を維持していくためには、それぞれの状
況に適した資産の運用と取崩しを含めた資産の有効活用が計画的に行われる
必要がある。このため、それにふさわしい金融商品・サービスの提供の促進
を図る。あわせて、住み替え等により国民の住生活を充実させることで高齢
期の不安が緩和されるよう、住宅資産についても有効に利用できるようにす
る。また、低所得の高齢者世帯に対して、居住用資産を担保に生活資金を貸
し付ける制度として、都道府県社会福祉協議会が実施している不動産担保型
生活資金の貸与制度の活用の促進を図る。

麻生太郎は「高齢社会対策大綱(案)」について説明も受けているし*4、閣僚なので当然この閣議決定に責任を負う。

また、麻生太郎は国会でも「高齢社会における望ましい金融サービスのあり方」について衆参両院で発言しているので、この動きについて把握していなかったはずはない。

人生百年時代を迎える中、国民の生涯を通じた安定的な資産形成の推進に向けて、少額からの長期、積立て、分散投資を促すつみたてNISAの普及を図り、金融事業者による顧客本位の業務運営の取組を深化させるとともに、高齢社会における望ましい金融サービスのあり方についても検討を進めてまいります。

第197回国会 財務金融委員会 第1号(平成30年11月16日(金曜日))

人生百年時代を迎える中、国民の生涯を通じた安定的な資産形成の推進に向けて、少額からの長期、積立て、分散投資を促すつみたてNISAの普及を図り、金融事業者による顧客本位の業務運営の取組を深化させるとともに、高齢社会における望ましい金融サービスの在り方についても検討を進めてまいります。

参議院会議録情報 第197回国会 財政金融委員会 第1号

極東ブログ」の独特な文章の構成

事実関係についてだけ触れてきたが、この「極東ブログ」の記事は文章の構成も独特である。
記事は高齢者の資産取り崩しについて疑問を持ってそれについて調べるという形で始まるのだが、途中で突如「謎が解けましたね」と言い出して「この話題は麻生金融担当相の諮問じゃないんじゃないの疑惑は深まる」と結論付ける。そしてまた資産取り崩しの話に戻るのだが、結局何も明らかにしないまま終わってしまう。
文章を要約すると資産取り崩しについて調べてみたが政府がどうするつもりなのかはよくわからなかったというだけの話なのだが、途中に挿入された麻生太郎をかばう部分だけが際立って異質だ。

金融庁を監督できていないのなら麻生太郎は不信任に値する

前回に引き続き「極東ブログ」は老後2000万円報告書について麻生太郎に責任はないという立場で、金融庁が勝手にやったことだと主張するのだが、それは無理筋である。
金融庁がやったことについて麻生太郎は大臣として責任を取らねばならないし、実際に麻生太郎は報告書作成につながる動きについて把握していたことは閣議決定や国会議事録からも明らかである。
また、もし仮に麻生太郎が大臣である自身の意に反する金融庁の官僚の独走を完全に許していたのだとすれば、それは麻生太郎が大臣としての能力がないということだから、当然不信任に値する。
いずれにしろ、麻生太郎は大臣として金融庁が出した報告書についてなんらかの責任を負う立場にあるのである。
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金融審議会「市場ワーキング・グループ」(第21回)資料2 厚生労働省提出資料 23ページ

よく読むといろいろおかしい「極東ブログ」の年金記事

はてなブックマークのトップページに上がっている「極東ブログ」の年金問題に関する記事なのだが、色々とおかしな記述が目立つ。
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2000万円貯められない庶民はもっと悲惨になるし、将来はもっと悪い状況になる

極東ブログ」は話題になっている報告書を読んで「ごく簡単にいえば、金持ち老人がもっと金を増やすための金融サービスはどうあるべきか、というのがテーマで、年金だけじゃ暮らしていけないという庶民の関心とはまったく関係なさそうな文書である」と言っているのだが、報告書を出した「市場ワーキンググループ」の第21回議事録*1ではこの点についても触れられている。

 関連しますが、例えば厚生労働省さんの資料でも、「マクロ経済スライドで中長期的な給付の水準が調整される」という表現になっているわけですね。これは、はっきり言って削減されるとか、低下するというのが事実だけども、それをやわらかな表現にしているのだけど、やわらかな表現にするということが批判を避けるという意味で賢明なのかもしれませんが、はっきり言うべきことははっきり言わなきゃいけない。

 今の池尾先生のお話を引き継ぐわけではないですけれども、厚労省の資料の23ページ、ここが1つ重要な図になるわけですけれども、先ほど池尾先生からもお話があった点ですけれども、代替率62.7%が2014年度、1974年生まれからは代替率が52%、50%と下がっていく。この代替率の高さ自体は意味がなくて、変化率が非常に重要な意味を持っているということですね。


 つまり、約63%のものが50に下がるということは、年金の実質水準が20%下がる、対賃金で評価して20%下がるということを意味している。特に基礎年金については、対賃金比で36.8%が26まで下がるということは、30%の実質年金が下がるということを意味しているということが、国民にこれで伝わるかどうかということだと思います。


 さらに、この次のページを見ると、24ページには、今の高齢者の標準的な収入・支出状況が出ていますけれども、今のマクロ経済スライドを受けると社会保障給付の19万円は、おそらく15万円ぐらいまで団塊ジュニア世代から先は下がっていくだろう。


 それから、非消費支出の2.8万円は、昨年5月の経済財政諮問会議の見通しだと、これが1.3倍、1.4倍ぐらいに上がってくるとなると、月々の赤字は5.5万円ではなくて、団塊ジュニアから先の世代は10万円ぐらいになってくるのではないか。しかも、それが長寿により長い期間続くということだから、早目に資産形成に入っていかなければいけないことを国民、特に若い世代に伝えるようにしなければいけないと思います。

 一方で、最初に委員からコメントがございましたのと同様に、表現がぬるくなったなと感じます。最近の金融庁さんのメッセージというのは非常に強くなって、具体的になった。そして、行動惹起に向けた、よりはっきりしたメッセージという意味で、僕は非常に高く評価していると、僭越ですが考えていたものですから、この言葉遣いがすごくぬるくなって、残念だと感じているところです。


 そして、全般にぬるくなった部分があることも含めてですが、特に現役期に対しては強烈な危機意識の惹起があってもいいのではないか。


 危機意識というのは、言ってみれば20世紀の1億総中流社会というものがまだ前提にあって、親御さんが教育をしてきて、その認識から抜け切れていないという途上に日本の我々世代がある中で、もうそうではないのだ、これから訪れる社会はいや応なく格差社会だ。格差社会というものが本来のグローバルスタンダードであって、格差社会をしっかりと受け入れた上で、自分たちがどう行動しなければいけないかという行動惹起につながるような表現がもう少しあったほうが、本気度が高まるであろうと感じています。


 一方で、矛盾することですが、全般に見ると、悲観トーン一辺倒が強過ぎるといいますか、これだと、国民がうれしそうに読むことができないのは当然のことなので、実際にここに入れていただきたいことは、まず、お金を持っている高齢層、持っていない高齢層が二極化しているというデータが先ほどはっきり示されているとおりでもありますので、とりわけ持っている世代に向けてはもっと前向きに、より豊かな人生を実現していくことの目的を盛り込んでいただきたいです。

つまり、「お金を持っている高齢層、持っていない高齢層が二極化」しているし、「月々の赤字は5.5万円ではなくて、団塊ジュニアから先の世代は10万円ぐらいになってくる」のだが、それを書くと「国民がうれしそうに読むことができない」ので「持っている世代に向けてはもっと前向きに」した結果が今の報告書だというのである。

極東ブログ」は「現在の国民が求めているのは、こんな報告書ではなく、これからの日本国民の多数の老後の生活像だろう」と言うのだが、日本国民の多数の老後の生活像はとても国民が「うれしそうに」読めないような悲惨なものになることが議事録からわかる。

ちなみに、ワーキンググループで配布された資料*2によると貯蓄残高が低い世帯の割合は近年増加している。

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金融審議会「市場ワーキング・グループ」(第21回)資料2 厚生労働省提出資料 25ページ

ワーキンググループの再開は金融審議会総会で直後に報告されている

極東ブログ」は市場ワーキンググループが2016年に報告書を出した2年後に再開されたことを指して「これって、きちんと、麻生金融担当相の諮問を経ているのか?」と言うのだが、この件は田中良生副大臣も出席した第40回金融審議会総会で報告されている*3
そもそも「きちんと」諮問を経るというのがどういうことを指して言っているのかが疑問だ。
ちなみに、市場ワーキンググループを設置する理由となった諮問は「金融担当大臣麻生太郎」の名前で行われているが*4、第37回金融審議会総会で実際に諮問文を手交したのは副大臣であるし、副大臣は冒頭で諮問を行うとそそくさと退席してしまう。*5

○福岡副大臣
おはようございます。麻生大臣が国会審議中につきまして、私からご挨拶をさせていただきたいと思います。
(中略)
それでは、諮問を行わせていただきます。


金融審議会会長 岩原紳作殿


金融庁設置法第7条第1項第1号により、下記のとおり諮問する。


市場・取引所を巡る諸問題に関する検討。


情報技術の進展その他の市場・取引所を取り巻く環境の変化を踏まえ、経済の持続的な成長及び家計の安定的な資産形成を支えるべく、日本の市場・取引所を巡る諸問題について、幅広く検討を行うこと。


よろしくお願いいたします。


(諮問文手交)


○福岡副大臣


よろしくお願いいたします。


私はこの後また委員会審議等が入っておりますので、失礼させていただくことをお許しをいただければと思います。


○岩原会長


どうもありがとうございました。ただいまお話がございましたように、福岡副大臣は所用のため、ここで退席されます。


福岡副大臣、どうもありがとうございました。


○福岡副大臣


すみません。ありがとうございました。恐縮です。


(福岡副大臣退室)

そもそも発生源がなんであろうと年金問題は消えないし、麻生の「100まで生きる前提で退職金って計算してみたことあるか?」発言も消えない

極東ブログ」は報告書が出た責任は麻生太郎にはないし、報告書で述べられた問題は庶民には関係ないと言いたいのだろうが、実態はその真逆である。庶民の高齢者としての人生は報告書であげられたモデル世帯よりも過酷なものになるだろうし、下の世代では更に悪化する。そして、この報告書が出たときに真っ先に尻馬に乗って「100まで生きる前提で退職金って計算してみたことあるか?」と煽ったのが、自分が年金を受け取っているかも知らない麻生太郎だったのである。
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「7歳でサンタを信じているのは"marginal"」をどう訳すか

ドナルド・トランプがサンタを信じている7歳の子供に心無い言葉をかけたことが話題になっている。BBCの英語記事によれば、元の発言は以下の通り。

"Because at seven, it's marginal, right?"

Trump to boy: Do you believe in Santa? - BBC News

ここで"it"と言われているのは当然、サンタを信じていることについてである。
これをAFPの日本語記事は次のように訳した。

「まだサンタクロースを信じているのかい?7歳といったら大人と子どもの境界線だろう?」

「まだサンタを信じてるのか?」 トランプ氏、7歳の子どもに発言し炎上 写真12枚 国際ニュース:AFPBB News

この訳はどう考えてもおかしい。「大人と子どもの境界線」なんて話は誰もしていないし、そもそも8歳だろうが9歳だろうが子供は子供だ。
ここで"it's marginal"と述べられている"it"も、7歳であるという事実ではなく、サンタを信じているという事実を指しているのは明らかだ。
さらに言うなら、"marginal"は本来的には中心から離れた周縁部にある状態を指す形容詞であり、そこから転じて「ぎりぎり」という意味を持つことはあっても、「何かと何かとの間の境界線上」というような意味を持つことはあまりないように思う。

BBCの日本語版では次のように訳されている。

「7歳っていうと、ぎりぎりだから。そうだろ?」

トランプ氏、7歳少年に「まだサンタを信じてる?」 - BBCニュース

BBC日本語版の訳は誤りではないが、これも辞書から無理やり引っ張ってきたこなれていない訳という印象がぬぐえない。
目についた中では、朝日新聞の藤えりか記者の訳が一番自然だと感じた。

米政府機関一部閉鎖も恒例のNORADサンタクロース追跡作戦が続く中、サンタの居場所を尋ねる電話をホワイトハウスにかけた7歳の子どもに「まだサンタを信じてるの? 7歳だともうあんまりいないだろ?」と答えるトランプ大統領…。

Erika Toh (藤えりか) on Twitter: "米政府機関一部閉鎖も恒例のNORADサンタクロース追跡作戦が続く中、サンタの居場所を尋ねる電話をホワイトハウスにかけた7歳の子どもに「まだサンタを信じてるの? 7歳だともうあんまりいないだろ?」と答えるトランプ大統領…。… "

「武装難民」というエセ専門用語は使うべきでない

麻生太郎が直近の失言の中で用いた「武装難民」という言葉は何かはっきりとした意味を持った専門用語のように見えるがそうではない。
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「武装難民」という学術用語は存在しない

「武装難民」という言葉は学問の分野で定着した用語ではない。CiNiiでの検索*1で出てくるのは右翼系の雑誌記事2件のみで、J-STAGEでの検索*2でも出てくるのは1件のみである。

国会での「武装難民」に関する発言

国会の議事録検索*3によれば、これまでに「武装難民」という言葉が国会で使われた回数は25回である。
年ごとに発言回数をまとめると以下のようになる。そのうち麻生太郎によるものが何回含まれるかも合わせて記した。

回数 うち麻生太郎によるもの
1994 1 0
1995 2 0
1996 1 0
1997 5 0
1999 3 0
2001 2 0
2002 2 0
2003 1 0
2006 1 0
2007 3 2
2008 1 1
2010 1 0
2016 1 1
2017 1 1

97年の日米防衛協力のための指針(ガイドライン)改定や03年の武力攻撃事態法成立などに合わせ散発的に「武装難民」という語が用いられているが、国会内においても特に定着した表現というわけではないことがわかる。また、2007年以降「武装難民」という言葉を執拗に国会で使い続けているのはほぼ麻生太郎だけであることもわかる。

しんぶん赤旗」における「使用」

「武装難民」という表現は右翼だけでなく「しんぶん赤旗」でも使用している*4という論があるが、これはほとんど言いがかりである。「使用」の例としてあげられている記事から該当部分を以下に引用する。

中谷長官はさらに、政府が「周辺事態」として例示していた「ある国の政治体制の混乱等による我が国への難民の流入」に際して、難民の中に紛れ込んだ武装難民やゲリラ、特殊部隊による武力攻撃は「(有事法制の)対象になる」と指摘。

衆院委で赤嶺議員質問/ゲリラ・特殊部隊も対象/中谷長官答弁 有事法制で細かく想定

自民党の政治家が発言した内容を引いて書かれた記事をもって赤旗も「武装難民」という表現を使っていると主張するのは、「バカと言ってはいけません」と教師に叱られた子供が、教師もその発言の中で「バカ」という言葉を使ったと主張するのと同程度の屁理屈である。

右翼系サイトで好んで用いられる「武装難民」という言葉

麻生の発言以前に「武装難民」という言葉を使っていたウェブサイトを選んで眺めてみると、週刊誌の記事やまとめサイト、特に右翼系のサイトが目立つことがわかる。このような意味で、「武装難民」という言葉は「反日」や「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」や「レッドチーム」などのネトウヨが好んで使う、ネトウヨ同士でしか通用しない言葉と同類である。定義が曖昧であるのに聞いた者に強い不安を与え、難民という概念に対するネガティブなイメージを強め、冷静な議論が成立する素地を弱体化させるという点で、ネトウヨにとって都合が良い言葉なのだろう。

「武装難民」を射殺するべきか議論する意味はない

冷静に考えれば、抑圧された北朝鮮国民あるいは小銃程度の武装しか持たない脱走兵が中朝国境の朝鮮族地域や韓国ではなく日本を逃亡先として選び、海保や海自や米韓海軍に捉えられず日本海を越え日本に上陸し、警察や陸自を前にして組織的な軍事行動を起こすなどという筋書きが荒唐無稽なことは誰にでもわかる。そもそも難民として日本に受け入れられることを希望する北朝鮮国民に日本で問題を起こす動機がない。
プロの工作員が難民の集団に紛れ込んでいるという想定なのであれば、それを発見するためにどのような検査体制が必要かを議論するべきである。接触した瞬間に敵対的な行動を取るのならそれは難民ではないし、その場で相手が敵対的でないなら身柄を確保してしかるべき検査のあと保護または拘束すべきだ。難民に対して取る行動として、まともに考えれば射殺は選択肢に上がることすらないはずである。
「武装難民」といういたずらに不安を煽る言葉に引きずられ存在しない問題について考えるくらいなら、現在進行中の難民問題であるロヒンギャの人々にどう日本は関わるべきなのかなど、より現実的な課題について議論するべきではないだろうか。今回の麻生太郎の発言には問題提起としての価値すらないのである。

産経の「『東北で良かった』…東京の皆さんの本音ではありませんか?」は本当に良記事か?

www.sankei.com
「『東北で良かった』…東京の皆さんの本音ではありませんか?」と題した産経記事がはてなブックマークで人気になっている。コメントを見ると、批判と賞賛が混在しており、中には「産経なのに良いことが書いてある」とか「良いことが書いてあるのだから脊髄反射で批判するな」とかいったコメントも見られる。
しかし、果たしてそもそもこの記事は良い記事だろうか?
まずこの記事は次の惹句から始まる。

米国のジャーナリスト、マイケル・キンズリーは「失言とは政治家が本音を話すこと」と語っている。

おそらく、これは Michael Kinsley の"A gaffe is when a politician tells the truth"*1という言葉を指しているのだろう。2007年にタイムに寄せた記事の冒頭で、キンズリー本人は失言について、スピンと対比させた上でこう述べている。

スピンは嘘の同義語だと思われがちだが、より正確には真実への無関心を意味する。スピンを行っている政治家は彼らが真実であってほしいと望むことを語っており、その内容はたまたま正しいこともある。一方で失言は、言われているように、政治家が真実を語ることである。より正確には、彼らが意図せず自分の頭のなかで起こっていることについて真実を語ってしまうことである。失言とはスピンが失敗したときに発生するものなのだ。

Gaffes Can Be Deceiving - TIME

このタイムの記事でキンズリーは、当時大統領候補だったオバマへの人種差別的なジョークを理由にしたバイデンへの批判は行き過ぎだと疑義を呈しているが、「東北で良かった」も、産経記事が次に引用している石原慎太郎の「震災は天罰」も、スピンの失敗にしても随分とお粗末なものではないだろうか。「被災者は東北蔑視の臭いをかぎ取った」とあるが、これらの発言は被災者でなくても明確に東北を蔑視する発言として認識するものだ。

次の段の復興大臣というポストが一貫して軽視されている問題や、今村の後任である吉野正芳の国替えについての指摘は面白いが、その次の段は噴飯ものである。

日本は先の大戦で敗れ、体制を軍国主義から民主主義に百八十度転換した。オイルショックでは世界一の省エネ国にモデルチェンジする。日本人は危機に直面すると、国の形を大胆に変えて乗り切ってきた。

様々な判断を誤り無謀な戦争に突入したことこそ、日本が危機に直面しても「国の形を大胆に変えて」乗り切ることができなかった最大の具体例ではないだろうか。「体制を軍国主義から民主主義に百八十度転換した」のも100%日本人の手柄だと言いたいのだろうか?筆者は取りあえず「日本すごい」と言っておけばいいと思っているのではないか。

震災ではどうか。東京は相変わらず埋め立て開発に突き進んでいるし、下町の防火対策も進んでいない。

震災から教訓を学んでいないことの例として何かボンヤリとした表現が並んでいるが、ここで原発再稼働の問題に触れないのも露骨である。「日本は大震災時代の真っただ中にいる」というのは何か科学的な裏付けのある言葉なのだろうか?

今回の失言を政治家個人の責任で終わらせてはならない。被災地以外の国民の本音を映し出している。
東京の人に聞きたい。
あなたも「東北で良かった」と思っていませんか。

今回の失言について今村雅弘個人以外に責任があるとすれば、総理大臣の任命責任がまず問われるべきだろう。間違っても「被災地以外の国民」の問題ではない。せめて津波が来たのが原発のないところだったら良かったのにと思うことはあるが、「東北で良かった」と思ったことは少なくとも私はない。

ところで、この産経記事の構成は、おおむね次のようになっている。

  1. 今村雅弘石原慎太郎の発言は東北蔑視の本音
  2. 興大臣は軽視されてきた
  3. 東京の防災対策は進んでいない
  4. 今回の失言は被災地以外の国民の本音である

1と2は話題が連続しているのだが、その後の「日本人は危機に直面すると、国の形を大胆に変えて乗り切ってきた」をはさんでの3へのジャンプは唐突であるし、最後の4への飛躍は端的に言って意味不明である。全体の論旨は意味不明なのだが、読んでいると何箇所か興味をひく箇所があるので、なんとなく意義深い文章のように見えてくるのは巧妙だ。この記事が良記事だとは私にはどうしても思えないが、この文章自体はスピンとしてかなり良くできているということはいえるだろう。

ふるさと納税で損をするのは誰か

ふるさと納税に関する記事が続いて目に入ったので少し調べてみようと思った。

ふるさと納税で損をするのは誰なのだろうか。参議院が公開している記事にわかりやすいものがあったので紹介する。

『自己負担なき「寄附」の在り方が問われる「ふるさと納税」』*1がそれだ。特に図表14がわかりやすいので以下に示す。
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この例では、3万円をふるさと納税して1.2万円相当の返礼品を得たとし、寄付先自治体で発生する事務コストを3千円としている。
この場合、得をしているのはそれぞれ、

そして損をするのは、

ということになっている。

面白いのは、全体の合計がゼロではなく事務コストの分で3千円のマイナスになっているということだ。つまり、ふるさと納税をした人と、国と各自治体を合わせて考えると、ふるさと納税というのは事務コスト分の損を生み出す仕組みになっているのだ。

また、ふるさと納税は直感的には居住地の税収が寄付先に移動するように見えるのだが、実際には居住地の自治体よりも国庫へ与える損害のほうが大きいことにも注目すべきだろう。

返礼品に費やされた1.2万円や、事務コストの3千円のうちいくらかは寄付先自治体の地域経済を潤すのだからいいだろうという反論もあるだろう。しかし高級牛肉などが格安で提供されていること自体が確実に通常の市場での売買に悪影響を与えるものであるし、ふるさと納税の返礼品を提供する業者として選定されることは強い利権となり、その選考過程は汚職の温床となるだろうことは想像に難くない。旧来の公共事業について指摘され続けてきたのと同じ問題を抱えているのである。

最後の「まとめ」に記されている内容も示唆的だ。

また、現在のところ、東京都はふるさと納税に否定的であるとみられるが、仮に東京都が豪華な返礼品によるふるさと納税に本格的に取り組むようになれば、逆に地方から税収を「吸い上げる」ことも不可能ではない。ふるさと納税は、制度上、必ずしも地方圏の自治体に有利に働くとは限らないのである。

『ふるさと納税の現状と課題』*2によれば、そもそもふるさと納税という制度は、平成18年に福井県知事が提案した「納税者が故郷の自治体に寄附を行った場合に、それに見合う税額を所得税と住民税から控除するという制度」をもとに検討を始めたものの、「当初の税収格差是正効果が期待できないと明らかになったにもかかわらず、制度の導入自体を見直すのではなく、はじめに導入ありきでその趣旨・目的のほうを置き換えて議論を進めた」結果、縁もゆかりもない自治体に金を送り嗜好品を受け取る制度に変質してしまったものだ。

都市部と地方の税収格差への対策として、『ふるさと納税の現状と課題』では消費税を地方の財源とし、法人税国税に移す税源交換が有力だとしている。税収格差が問題なのであればそのような本質的な解決策が導入されるべきであるし、国庫に負担を強い、市場原理と地方経済の倫理に悪影響を与え、当初の目的であった都市部と地方の税収格差の解消にも役に立たない欠陥制度であるふるさと納税は段階的に規模を縮小し、最終的に廃止されるべきだろう。

*1:三角政勝. 自己負担なき「寄附」の在り方が問われる「ふるさと納税」― 寄附金税制を利用した自治体支援の現状と課題 ―. 立法と調査 2015. 12 No. 371. 参議院事務局

*2:加藤慶一. ふるさと納税の現状と課題 ―九州における現地調査を踏まえて―. レファレンス 平成22年2月号. 国立国会図書館 調査及び立法考査局

大統領令を支持する国民に迎合する政治を恐れる

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正規の方法で永住権を取得し、米国で働き米国に家を持ち米国の口座に貯金をしていたイラン人が、たまたま冠婚葬祭や旅行で国外にいただけで3ヶ月、場合によっては永久に自分の家に帰ることが出来なくなるという事態を想像すれば、まともな判断のできる人間ならひどい政策だと思うはずだ。
しかしこのようなまともな判断も、このような政策を支持する側からは、アメリカ風に言えば「リベラル」や「エスタブリッシュメント」の偽善ということになるのであろうし、日本のネットで使われている言葉を使えば「リベサヨ」の欺瞞的な「ポリコレ」談義ということになるのだろう。
エスタブリッシュメント」という表現が具体的に何を指すのかいまだによくわからないのだが、政党政治家、官僚、学者など、いままでの政治がそれなりにまともな判断に基づいて運営されるよう支えてきた層はことごとくトランプ支持者に嫌われているらしい。
アメリカ国民の過半数が「気味の悪い異教徒を国外に追い出せばアメリカは良くなる」という粗雑な考えの持ち主だというのはそれ自体おそろしい話ではあるのだが、もっとおそろしいのは「エスタブリッシュメント」を排除した権力の中枢が、この国民の最も野蛮な部分をなだめるのではなくむしろ煽るような姿勢を取り続けていることだ。